
塾長について
1969年12月 鹿島市生まれ。父親は歯科医として朝
5時から夜中2時まで働いていました。
母親も父親の手伝いと家事や、畑仕事、親戚が集まると
きなどは30人分ほどの料理を作ったり、布団を敷くなど
忙しくいました。両親とも本家として身内のことで辛抱、
苦労の連続でした。
そんな両親を見て、私にも自然に辛抱、忍耐が身につき
ました。小学生のころからひとりで勉強していました。
誰にも教わらず、テキストの解説だけが頼りです。
わからない問題もあります。数時間考えます。わかりません。
泣けてきます。それでも考えます。そんな風にして小学5
年生の頃には学校の先生から進学校の有名中学受験を勧め
られましたが、受験はせず、進学した地元の中学は、授業
中に黒板に向かって金づちが飛び、1部の生徒が他の生徒
を暴力で支配するほど荒れていました。小学1年生から毎
年、学級委員長をしていた私はクラスのみんながいやな思
いをしているのにその状況をどうにもできず、自分だけ勉強
していいのだろうかと悩み始めました。
そして中学2年の2月、『生きていく自信がない』と家族の
前で泣き、翌日から学校に行かなくなりました。
心療内科に1年以上入院しました。その頃、健三さん(23才)
から色々な話をしてもらったり、色々な場所へ連れて行った
りしてもらったことが復帰のきっかけとなりました。
高校へは1年遅れて進学しました。
1年遅れていることで同級生に迷惑や負担をかけていない
だろうかと悩み、勉強は全く手につきませんでした。
広島修道大学を卒業し、自分の子供の頃のように悩み
苦しんでいるこどもたちに人間の良心を感じさせられたら
いいなと考え、洋菓子製造販売会社に就職しました。
役職も頂きましたが昼12時から朝8時まで20時間の勤務、月
間残業300時間以上の環境で身体を壊し退職。
その後、佐賀に戻り学習塾教室長として3年勤めた後、
2009年3月、浜町に綾部学院を開きました。
開塾2年目の2010年、(静かな塾、心安まる塾をつくる)
と決意。おしゃべりが止まらない生徒さんには辞めて頂き
ました。浜町で塾をしている中で、鹿島の保護者様から
『鹿島に出てきてください』とお声を頂いたこともあり
2014年3月、新町に移転しました。幸運なことに、生徒会
役員、部活キャプテン、県選抜選手などリーダー的な生徒
さんに多くお越し頂けるようになりました。
誕生日にプレゼントをくれたり、年末には自主的に塾
の掃除をしてくれたり、高校入学式の後には別々の高校から
塾に集まったりしてくれ、素晴らしい生徒さんに恵まれてきた
と思います。
綾部学院は静かな塾、実力をつける塾、礼節がきちんと
した塾、笑顔が出せる塾を目指し、自律学習を通じて、
社会に出た後も笑顔と共に乗り越えて
いく静かな強さを持った生徒さんを育てます。